療養・イン・バルセロナ

ぼくは、スペイン・バルセロナでサッカーの試合中に左手首を複雑骨折した。こう書くとリーガ・エスパニョーラのプロサッカー選手のようだが、私はただのMBA留学生である。骨折してから3週間、多くの人たちにとてもお世話になり、ようやく学校に復帰することができた。この経験、感謝の気持ちを風化させないよう、ここに記そうと思う。

骨折した日の深夜、日本人の友人たちに連れられてバルセロナ中心部の下宿に帰った。痛みに耐えつつ、「面倒なことになったな」と完治までの生活に不安を抱きながら床についた。翌朝(と言ってもすでに昼過ぎだったが)、フラットメイトに骨折したことを知らせた。

私の下宿はシェアハウスで、私を含めて4人住んでいる。バルセロナの家賃相場は東京ほどではないが意外と高く、私費留学生の私にとってはシェアハウスがふさわしいのである。フラットメイトは家主でシェフのスペイン人のおばちゃん(50代)、イタリア人とスペイン人のゲイのにいちゃんたち(30代と20代)である。ダイバーシティに富んだフラットメイトたちである。

おばちゃんがものすごく心配してくれて、「これから面倒を見てあげるわ」と言ってくれた。正直、私はおばちゃんに対して一方的に気まずい思いがあった。この下宿に住み始めてすぐ、スペイン語が全く喋れない私のために本屋に教科書を一緒に選びに行ってくれたのだが、学校が忙しくてほとんどスペイン語が上達せず申し訳ない気持ちがあったのだ。とにかく、異国の地で言語も文化理解も不足している私にとって、おばちゃんの助けは本当に心強いものであった。

 

翌々日、救急車で連れて行かれたところとは別の病院に受診に行った。今回の受診は保険会社が予約をし、医療通訳さんもつけてくれた。テクノンという私立病院で、とても綺麗で質の高い医療サービスを提供しているようだった。最初の病院は公立で、医師が足りていなかったらしい。世は資本主義社会である。幸い、私の怪我は保険が適用されるため質の高い医療サービスを受けることができる。

病院には、おばちゃんも同行してくれた。診療はスペイン語のため、おばちゃんや医療通訳さんがいてくれて本当に助かった。診断の結果、患部の腫れが引くのを待って、翌週手術することになった。その間、診療や手術準備のため数日間通院した。それ以外は下宿で安静にしていた。
そうこうしているうちに、手術日を迎えた。おばちゃんと病院に行き、病室に通された。手術の時間まで病室で待機した。おばちゃんは、私が緊張しないように自分がこれまでになった病気の話などをしてくれた。癌にかかったことがあるらしく、「私の骨折とは比にならないくらい重病じゃないか」と話をしていて申し訳なく思った。手術の時間が近づき、ナースに渡された編み編みのスケスケパンツと手術着に着替えた。これはとても恥ずかしかった。

予定の時間になっても誰も来ず、定刻の1時間半後にナースが迎えに来た。私はストレッチャー上で横になった。カテーテルを付け、麻酔を打ち、手術室に入った。そこからの記憶はない。打ったのは全身麻酔だったようで、気が付いた時には手術は終わっていた。病室に戻るとおばちゃんが待っており、手術の結果について話してくれた。私が寝ている間に、執刀医と話をしたようだ。骨折部位の固定と断裂した靭帯をつなぐため、ボルト9本とプレートを入れたということだった。手術は3時間かかったらしい。この手術がどの程度大変なものだったのか分からないが、私をビビらせるには十分だ。

「無事に終わって良かったぁ」と肩の重荷を下ろした気分だった。安堵も束の間、その夜は麻酔が切れて苦痛に耐えていたため全く眠れなかった(痛み止めを打っても効かないほどの痛みだった)。手術はもうこりごりである。翌朝、医師の診断を受け、学校に提出する書類を受け取り帰宅した。その後3日間は痛みが引かず、しばらくおとなしく安静にすることにした。

 

結局、学校は2週間休むことになった。その間、多くの人たちにお世話になり、激励の言葉をいただいた。大怪我をしたことで気持ちが落ち込んでいたので、みんなの言葉や行動はとても心に響いた。
おばちゃんには、毎日いろいろと本当にお世話になった。おばちゃんはシェフということもあり、毎食いろんな料理を作ってくれた(エスニック系料理にパクチーがたくさん入っていたのには閉口したが)。通院の際には毎回同行してくれて、医師とのやり取りや事務処理の際にとても頼りになった。おばちゃんは英語があまり喋れないので、私はなるべくスペイン語で話すようにしている。今では幼稚園児のような拙いスペイン語だが、いろんな話ができるようになった。この下宿に住むことにして本当に良かったと思う。
サッカーのチームメイトたちは頻繁に連絡をくれたし、日本人の同期生たちは食事に誘ってくれたりしたので寂しい思いをすることはなかった。一番のサプライズは、クラス全員の寄せ書きだった。これには本当に驚いた。まさか30歳を超えてこのような青春めいた贈り物をいただくなんて思ってもいなかった。危うく感涙を流しそうになる程、感動を禁じ得なかった(泣いても良かった)。この寄せ書きは額に入れて一生の宝物にしようと思っている。
そして、家族をはじめ日本にいる友人たちである。おばちゃんやクラスメイトたちには言語的・文化的に話すことが難しいことや他愛のない愚痴などを聞いてくれた。一方で家族には不満がある。父は一言も言葉をかけてくれなかったし、姉は「自業自得だ」と言い放つ始末。母は心配してくれたが、夫婦でミャンマー旅行に行ってしまった。祖母には心配をかけるといけないので、知らせていない。私の家族は、良くも悪くもドライだと感じる。愛はあるのだろうが、私と同じように感情表現が下手なのだろう。そう思うと可愛らしく思えるものである。

やっとのことで、今週から学校に復帰した。登校するとクラスメイトたちが「ウェルカム・バック」と迎えてくれた。他クラスの同期生も廊下で会うと同じように「ウェルカム・バック」と声をかけてくれた。今まであまり話したことのなかったクラスメイトとも話すようになり、友人の輪が広がった気がする。まさに、怪我の功名である。

一方で、スタディ・グループには迷惑をかけた。休んでいた2週間、課題は全て任せてしまっていた。課題の成績はとても良くて、私は完全にフリーライダーだ。なんの貢献も出来ていない私を快く迎え入れてくれたことに感謝している。怪我をする前は誰も私を気に留めていないように思えて自信が持てずにクラスやグループワークにうまく参加できていなかった。この怪我でみんなが自分を認識してくれたと思うし、みんなの気持ちのこもったメッセージのおかげで、クラスの一員になれた気がする。みんな将来グローバルリーダーになる人材であり、本当に人格者で気持ちの良いヤツらばかりである。そんな人物に自分もなりたいと強く思った。

この怪我のせいで2週間の活動休止を余儀なくされ、苦痛にさらされる羽目になった。これからも数ヶ月、不便な生活やリハビリを強いられることだろう。しかし、この怪我のおかげで人の優しさに触れ、忘れてしまっていた人に感謝すること、人を信じること思い出した。この気持ちを忘れずに困っている人を思いやり、手を貸すことができるような人物になろうと思う。

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